【歴史】関ヶ原合戦を引き起こした「直江状」は本物なのか?

1 : 2020/09/20(日) 02:58:37.07 ID:AbfYihaZ9

(乃至 政彦:歴史家)

慶長5年(1600)9月15日に行われた関ヶ原合戦。この戦は上杉景勝の家宰である直江兼続が、徳川家康に対して叩きつけた「直江状」によって引き起こされたとされる。しかし、直江状には原書がなく、その写しも書かれた時期によって内容が変化していることが見えてきた。本文を考察しながら「直江状」の内容及び真偽に迫る。(JBpress)

■ 関ヶ原合戦の原因とされる書状

 関ヶ原合戦を起こしたのは、直江状と言われている。

 上杉景勝の家宰である直江兼続が、徳川家康に対して叩きつけた挑戦状である。

 ただしよく知られている通り、直江状は原書が存在していない。いま伝わっているのはすべて写しなのである。このため、直江状は江戸時代に作られた文学的な作品であると見る作家や研究者が多い。もちろん逆に当時、兼続がほんとうに書いたものだという専門家もいる。

 それで研究者たちが検証したところ、直江状の写しは、書かれた時期によって、内容が少しずつ変わっていっている様子が見えてきた。初期の写しは上杉家謀反の噂を聞いた徳川家康に「それは事実ではありません」と弁明する内容で、それがあとから往来物として挑発的に読み替えられていき、やがて「疑うならこちらまで来ればいい。お相手しますから」との追記が加えられることになったのである。

 さて、直江状が実際にあったとして、それがもともとは上杉無罪を訴えるものだったとしたら、これを起点に勃発する関ヶ原合戦は徳川家康の強引さが巻き起こした事件ということになる。しかし、同時代の人々の記録を見ると、どうもそうではなく、上杉家は自ら挑発したということが伝えられている。これは家康の印象操作の可能性も疑われようが、それでは、景勝および兼続は、実際にどんな態度を取ったのだろうか。

■ 本文の考察

 その訳文や本文およびその考察は書店に並ぶ歴史書だけでなく、インターネットでも検索することができるので、ここでは略する。ただ、直江状というのは徳川家康に宛てられたものではない。当時、京都にいた兼続の友人である僧侶に宛てられた書状なのである。

 そして同時代の京都の記録に、この僧侶と直江兼続が手紙を交わしていたことが伝えられている。直江状の実在を肯定する論者は、この記録がその証拠ではないかと見ている。しかし、これが実は謎を解く大きな鍵となるのだ。

 この僧侶が兼続に送った書状というのも写しが残されている。直江状はこれに対する答書の形をとっている。

 通説によると僧侶の書状は、徳川家康の意を受けて、兼続に難詰する内容とされている。しかしよく読み返すとそのようではない。少なくともこの書状を送った西笑承兌という僧侶は、威勢ある権力に屈して友人を売るタイプの人物ではない。

 明国から豊臣秀吉に国書が送られたとき、西笑承兌は翻訳を担当したが、秀吉の重臣・小西行長は「この国書を直訳すると秀吉さまは必ずお怒りになる。だからよく忖度するように」と助言されたが、そんなことお構いなく直訳して、予想通り秀吉を激怒させている。朝鮮出兵が長期化したのもこれが原因である。

 真実を真実と言って憚らない、融通の効かない学者だったのだ。もちろん家康に懐柔されて、兼続や上杉家を政治利用する陰謀に加担することも考えにくい。

 それで、長文の西笑書状を見ると、これは詰問状ではなく、兼続の動きを穏便に諭そうとする内容の手紙である。そこでは「上方では景勝がなかなか上洛しないことで、上杉討伐がすぐにも決まりそうなので、早く対応するのがいいでしょう」ということが懇々と述べられ、風雲急を告げるの観があり、緊迫する調子が強く感じ取れる。西笑はそれほど兼続と上杉家を心配していたのだ。

 それがなぜか直江状では、こうした親切な忠告の細々とした部分を、いちいち論破するものとなっている。上杉討伐を主導しようとする家康からの難詰に対するものなら、わからないでもないが、なぜここで友人を論破しようとするのか、これだと兼続がまるでただの阿呆である。

 家康は、上杉景勝が謀反するという情報の実否を確かめさせるため、上杉家に使者を向かわせた。通説では、かれらが西笑の書状を持たせられたとある。それなら、兼続が直江状で友人を論破するのも理解できないこともない。だがしかし、この認識が大きな間違いなのだ。西笑書状は兼続へのプライベートな手紙である。対する家康が派遣したのは上杉家へのパブリックな公使である。

 これを一緒くたにしてはならない。

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/2352fec45a371a09ffd0d49ac067fc7987d94ad7

2 : 2020/09/20(日) 02:59:01.03 ID:N7nSA4at0
菅が悪い!!!!!!
3 : 2020/09/20(日) 03:03:35.15 ID:JhZqBiIO0
だが、それがいい
9 : 2020/09/20(日) 03:18:53.82 ID:TqEFZ3ph0
>>3
慶次乙
4 : 2020/09/20(日) 03:07:41.27 ID:IIpU0+aC0
伝言ゲームは危険やね
5 : 2020/09/20(日) 03:09:18.88 ID:UdWDVE/T0
是非もなし!
お相手いたす
6 : 2020/09/20(日) 03:12:47.32 ID:X2UNBjGc0
歴史とは合意に基づいた作り話である
7 : 2020/09/20(日) 03:15:59.23 ID:lAv7uBvX0
俺が書いた
8 : 2020/09/20(日) 03:16:04.53 ID:fOgJTZlI0
関ヶ原ウォーランドってまだあるのかな?
衝撃的な施設だった
20 : 2020/09/20(日) 03:52:46.76 ID:GPAp+tlY0
>>8
髪の毛を棒に縛り付けた生首を晒した像を見たときは衝撃だったな。
10 : 2020/09/20(日) 03:20:02.64 ID:yribhvE60
新潟はなんで上杉家のお膝元だったのに、
金沢は前田利家の文化力に負けてしまったのだ
13 : 2020/09/20(日) 03:33:38.83 ID:D8EBN4w10
>>10
徳川に降伏して移動させられたからだろ
前田家とは全然違う
18 : 2020/09/20(日) 03:45:09.51 ID:JQEBhnug0
>>10
越後が多くの大名に分割されたからだろうな。
11 : 2020/09/20(日) 03:22:42.05 ID:P6b0W8Y50
閻魔大王にも手紙書いた
12 : 2020/09/20(日) 03:27:07.93 ID:X2UNBjGc0
徳川・・・徳のある川(ヨルダン川)

家康・・・イエズス

14 : 2020/09/20(日) 03:34:36.32 ID:4DHMGvuK0
>>1
こいつ、徳川びいきだからいまいち信用できない。
15 : 2020/09/20(日) 03:37:31.21 ID:2RQYQOL80
毎年9.15の朝に町内放送でホラ貝の音が流れて山でのろしが上がるよ
16 : 2020/09/20(日) 03:39:22.62 ID:BtcguzIx0
戦国一の煽り男だよなぁ
17 : 2020/09/20(日) 03:40:01.86 ID:e0sM7EJr0
家康「これからは俺が助けてやる、その時は言いな、兼ちゃんよおww」
19 : 2020/09/20(日) 03:46:22.75 ID:eDRzef7u0
実際の関ヶ原は通説とは違って、朝から小早川が裏切ってあっという間に西軍が壊滅した可能性が有るらしい。
もしそうなら「神君家康公が天下を取った、天下分け目の戦い」には相応しく無いから、
江戸時代に天下分け目の戦いに相応しいように、
午前中は西軍が優位だったとか、家康軍が前線に出て東軍が盛り返したとか、
問い鉄砲で小早川がようやく参戦したとかの創作をしたんだろう。
直江状もそれらの創作の一部かもしれない。
25 : 2020/09/20(日) 04:06:07.18 ID:3InTZIj40
>>19
小早川 関ヶ原前に西軍の城攻めてたとか。関ヶ原って色々突っ込み所多いよね。西軍は宇喜多 石田 小西だけ戦ってて他は傍観ってシナリオだけど東軍も黒田 福島くらいしか出てこない。実際は大垣城から敗走する石田達を黒田福島が追撃、小早川が完全に捕捉だとか。
30 : 2020/09/20(日) 05:01:32.90 ID:e1jhPLtE0
>>19
実際は開始当初から西軍劣勢は有り得るな
21 : 2020/09/20(日) 03:57:37.21 ID:PVMFn4Qh0
あん?
石田三成と呼応して東西から家康を挟み撃ちにする作戦じゃなかったんか?
28 : 2020/09/20(日) 04:43:18.14 ID:tcC3rW950
>>21
西軍に寝返った真田昌幸にあてて、上杉と連携したいから仲介して欲しいと書き送った三成の書状が残っている。
なので、上杉征伐の時点では上杉と三成は組んでなかったことは明らか
33 : 2020/09/20(日) 05:11:13.08 ID:e1jhPLtE0
>>21
主君の上杉景勝も乗り気なら挟み撃ち作戦に乗れるけど
反対してたら一家臣がそれをひっくり返すのは無理じゃね?
41 : 2020/09/20(日) 06:10:03.79 ID:dvDzx1XcO
>>21 三成のバカが早すぎたからでしょ。
上杉とやり始めてから挙兵すればよかった
43 : 2020/09/20(日) 06:20:59.04 ID:dHRQ+MRL0
>>41
あの頃は情報伝達の手段が人の足だから
「始まるザマスよ!」って連絡が入ってからじゃ遅い
22 : 2020/09/20(日) 04:00:50.42 ID:rjvXwOQl0
叩きつけてはいない
23 : 2020/09/20(日) 04:02:50.60 ID:8GGpJ6QL0
直江状はフリーメイソンの陰謀
26 : 2020/09/20(日) 04:13:43.84 ID:hLgEqzP/0
小早川って裏切り者っていわれるけど
ぶっちゃけ小早川の生い立ちだったら当然徳川に味方するじゃん
秀吉にさんざん人生弄ばれてねねに擁護されてた立場なんだから
どこをどう見たって三成側に与するわけがないのに
それで世紀の裏切り者扱いされ続けてるのほんとに不憫
27 : 2020/09/20(日) 04:26:20.98 ID:zwIOsXRS0
読まずに食べた
29 : 2020/09/20(日) 04:59:53.41 ID:f9qhNyfk0
つまり直江状はなかったと
31 : 2020/09/20(日) 05:08:14.59 ID:r77v4pfP0
>>1
ほほう
32 : 2020/09/20(日) 05:09:36.62 ID:SU+KdWMw0
愛の武将が戦いなど好むわけないだろ
34 : 2020/09/20(日) 05:13:13.28 ID:r77v4pfP0
上杉家の実権を握ってたのは直江兼続だろ
35 : 2020/09/20(日) 05:19:27.19 ID:ecU6NQal0
真田丸の直江状は笑えたなあ、何回でも観られる
36 : 2020/09/20(日) 05:27:20.18 ID:nWYN6zIy0
利いたふうな口を聞くな
37 : 2020/09/20(日) 05:38:29.41 ID:FppLCqYh0
1.転写や伝文、後世の加筆により内容は多少違う説
2.内容はほぼ捏造説
3.そもそもそんなものはなかった説
38 : 2020/09/20(日) 05:40:42.27 ID:GNPzvBY90
そもそも東軍が関ヶ原に到着する前に決着は付いていた
40 : 2020/09/20(日) 05:55:03.09 ID:ddXw9eaj0
直江に「うちの子を生き返らせろ!」と詰め寄ってきたやつを、「お前が閻魔様に頼みに行けよw」とぶち殺して晒した話はワロータ
42 : 2020/09/20(日) 06:18:57.67 ID:BCBIWCz+0
普通に考えて喧嘩売られた内容の手紙を大事に取っておかんわな
誰だって破り捨てる
45 : 2020/09/20(日) 06:40:24.83 ID:qyQzz0sf0
>>42
頭の良い人は証拠にとっておく
53 : 2020/09/20(日) 07:04:22.39 ID:r+GFXeb30
>>42
おまえならそうかもな
普通の頭があれば文面が失礼であればあるほど証拠としていろいろ使えると考える
44 : 2020/09/20(日) 06:40:00.67 ID:qyQzz0sf0
一方の権力者に融通の効かない学者が他方の権力者に阿ることなんか
いくらでもあるだろ
46 : 2020/09/20(日) 06:52:03.18 ID:L6rxnuRw0
信長公記と徳川実記は勝者の記録
47 : 2020/09/20(日) 06:57:09.54 ID:FZcdRkHK0
関ヶ原の合戦などあった当時の記録は残ってるのに近年のものは跡形もなく廃棄されている
昭和時代に残された富士山測候所の日誌も安倍政権下で溶解処分された
48 : 2020/09/20(日) 06:59:28.06 ID:iRxLzdSK0
エムス電報事件と感覚は同じ
49 : 2020/09/20(日) 07:02:36.37 ID:gQhl6+bH0
いや原因は関が原で最初に発砲した井伊隊の誰かだろ
50 : 2020/09/20(日) 07:03:16.53 ID:tICQh1hv0
家康は悪神
51 : 2020/09/20(日) 07:03:42.60 ID:3PBBFQxw0
嘘を嘘と見抜けないと戦国時代は生き残れない
52 : 2020/09/20(日) 07:04:20.45 ID:02QAcsDx0
ちょ、ちょ、直江状、、、

コメント

タイトルとURLをコピーしました