【歴史】「戦地で何が」地獄のインパール作戦…祖父の最後の足跡追った母娘

1 : 2020/06/05(金) 23:30:08.62 ID:yPLFCtBJ9

日本軍の大砲では敵戦車の装甲を貫けず、かえって「複数台から集中砲火を受け、20人ほどの部隊が一瞬で全滅した」と話す重松一さん(97)=福岡市中央区。ビルマの地図を手に、戦いを振り返った(撮影・宮下雅太郎)
レス1番の画像サムネイル

 玄界灘に浮かぶ相島(福岡県新宮町)。セピア色の写真に残る軍服姿の青年はこの島の漁師だった。太平洋戦争開戦翌年、27歳で陸軍に召集された。生まれたばかりの一人娘を残し、「地獄」といわれたビルマ(現ミャンマー)でインパール作戦などに後方支援部隊として参加。飢えや病で仲間が次々倒れゆく中、青年もまた、密林に消えた。

 1942年9月、青年は瀬戸内海に面した山口県柳井市の部隊に入隊した。43年3月、前線への輸送任務を行う船舶工兵としてビルマに上陸。開戦半年で英国領だった同国を占領した日本軍に対し、連合国軍はこの年から反撃に転じた。

 南北に長いビルマの国土は山河に富む。所属部隊の戦記には「干満差の大きい水路をマングローブの林や夜空の星を頼りに進み、人馬や弾薬の輸送に明け暮れた」とある。

 太平洋戦線で戦局が悪化した日本軍は44年3月、事態打開のため連合国軍の拠点、インパール(インド)侵攻に乗り出す。補給を無視した無謀な作戦は失敗、将兵の死体で埋まった撤退路は白骨街道と呼ばれた。

 その後も日本軍は重要都市を次々と失っていった。この頃の戦闘に参加した重松一さん(97)=福岡市=は「相手は最新式戦車に機関銃、火炎放射器まである。鉄の塊に鉄砲撃っても何もならん。ただ撃ち殺されるだけだった」と振り返る。

■「目を離した隙に…」

 街道を首都へ向けて南進する連合国軍に、日本軍は分断された。ビルマ西部に取り残された将兵たちはペグー山系に集い、幅100メートルを超える大河シッタン河を渡り東部へ撤退しようとした。そこに青年もいた。

 青年と同じ師団だった川口善四郎さん(97)=長崎県佐世保市=は、雨期に入り霧煙る密林をなたで切って進んだという。ぬれた体にまとわりつくヒル。わずかな食料を奪い合い、蛇を食べて飢えをしのぐ者もいた。マラリアや赤痢にかかり歩けなくなった兵士は、手りゅう弾を体に当て自爆した。

 「取り上げても隠しとると。死ぬときは一緒って励ましても、迷惑掛けられんって。目を離した隙に…」

 戦史叢書(そうしょ)によると、ペグー山系に集結した将兵約3万4千人のうち、渡河できたのは約1万5千人。

 青年の陸軍戦時名簿には「生死不明 昭和二十年七月十四日 ペグー山系山中ニ於テ」とあった。

■祖父の最後の足跡を追い掛け

 終戦1カ月前の1945年7月、ビルマ(現ミャンマー)のペグー山系で消息を絶った青年の名は友納儀助さん。孫の友納優子さん(49)=福岡県新宮町=は、祖父の最後の足跡を追い掛けている。ミャンマーを2度訪れ、亡くなったとみられる場所の近くにも行った。「じいちゃんは何のために戦ったんだろう」

 祖父に興味を持ったのは18歳のとき。仏壇にご飯を供える祖母(故人)の姿を見て、どんな人だったのだろうと気になった。尋ねても祖母は黙り込むばかり。出征直前に生まれた一人娘の母も、戦地で亡くなったらしいとしか知らなかった。

 北九州市内で医師として勤める優子さんは6年前、ある患者の親から、ミャンマーで戦死者の慰霊をしていると聞かされた。祖父のことを口にすると、「菊ですか? 龍ですか?」と問われ戸惑った。祖父の所属部隊はおろか、福岡で編成された、名を知られた二つの兵団も知らなかった。

 福岡県庁から軍歴を取り寄せた。祖父が入隊したのは福岡ではなく山口県柳井市の部隊。部隊跡の碑には紙で作ったヤシの葉で偽装し、上陸訓練する隊員の姿を詠んだ短歌が刻まれていた。インターネットで戦記を見つけて購入し、部隊の慰霊塔が和歌山市にあると知り、慰霊祭にも参加した。

 2年前、母を連れて初めてミャンマーを訪れた。「生死不明」となった場所から10キロほど離れた集落で手を合わせた。眼前に広がるペグー山系。「鳥の声や風の音が聞こえる中で、一人また一人と倒れて…。何年かしたら迎えに来てくれるだろうかと考えながら土になったのかなと想像しました。本当に、静かなところだったんです」

■既に多くが鬼籍に入った

 熊野古道を一望する和歌山市内の高台に、儀助さんが所属した船舶工兵第11連隊の慰霊塔はあった。管理する松林寺によると、檀家(だんか)だった元隊員の尽力で74年に建立され、76年から毎春慰霊祭を執り行っている。(続きはソース)

6/2(火) 11:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200602-00010000-nishinp-soci

2 : 2020/06/05(金) 23:36:41.08 ID:ou9cpaxq0
司令官は天j
3 : 2020/06/05(金) 23:37:19.52 ID:UicVAeKw0
戦略としてはそこまで間違ってはなかったやろ
参謀より現場指揮官が無能だっただけ
島津家久なら敵を湿地帯に誘い込んで奇襲して大将の首を取って普通に勝ってる
4 : 2020/06/05(金) 23:38:00.13 ID:WdJSeDBs0
>>3
よくそんなことが言えるな
頭でっかちにもほどがある
8 : 2020/06/05(金) 23:40:52.70 ID:J29mVsYy0
>>3
こういうバカが地獄に将兵をぶちこんだのが先の大戦
22 : 2020/06/06(土) 00:11:05.89 ID:0ccfPSW/0
>>3
師団長時代の牟田口が自分が行かされそうになった時点では大反対して沙汰止みになった作戦だぞ。
牟田口「補給の目処が立たない」
34 : 2020/06/06(土) 00:30:19.61 ID:6hLZa2Ly0
>>3
牟多口さんチィース
5 : 2020/06/05(金) 23:38:48.09 ID:zH5Ho8Hm0
そもそもインパールわかってねえなだろ
6 : 2020/06/05(金) 23:39:08.82 ID:n+RZt/TC0
そもそもあの時期に大規模な作戦は誰でも無理じゃね
空も海も劣勢では
24 : 2020/06/06(土) 00:13:23.86 ID:irj2zfRO0
>>6
頭のいい奴は軍から距離を取ってただろうな
現場レベルで良い提案したところで勝てないのはわかっていたわけだし
幹部はしがらみで抜けられないか、頭の悪いやつばかり
25 : 2020/06/06(土) 00:18:55.22 ID:0ccfPSW/0
>>24
東條英機に面と向かって「馬鹿野郎」と罵しって戦犯を回避した田中新一のことか
7 : 2020/06/05(金) 23:40:13.54 ID:09xA16wl0
野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 – )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家・プロ活動家。

「祖父の野口省己は陸軍大学出身で太平洋戦争時、インパール作戦等の陸軍参謀。出征からインパール作戦の失敗、敗走について著書「回想ビルマ作戦 第33軍参謀痛恨の手記」に書き残している

9 : 2020/06/05(金) 23:42:29.61 ID:hZTo06Bh0
中将が馬鹿の標本だっけか
10 : 2020/06/05(金) 23:43:19.08 ID:WdJSeDBs0
俺が予備校で教わった先生はインパールの生き残り将校だった
一度質問に行って手厳しく指導されたな もう亡くなられただろう
11 : 2020/06/05(金) 23:44:13.92 ID:AfO3w/7×0
ペリリューとどっちがひどい?
15 : 2020/06/05(金) 23:50:12.92 ID:IqHQFdt+0
>>11
ペリリューは他にやりようがなかったけどインパールはちがう
12 : 2020/06/05(金) 23:46:19.84 ID:BymCIhty0
事実コヒマから北はガラ空きだったみたいだから、
皇軍兵士が素手でマチルダを撃破でき、
飲まず食わずでアッサムまで行軍できたなら作戦は成功しただろうな。
14 : 2020/06/05(金) 23:48:08.66 ID:J29mVsYy0
>>12
江田島平八が五人も居たら勝てたかもな
13 : 2020/06/05(金) 23:46:44.87 ID:l0pUwlgI0
牟田口が草でも食わせとけって言ってた
17 : 2020/06/05(金) 23:59:45.04 ID:2KFB6pLW0
日本の戦死は餓死が多いのでは
19 : 2020/06/06(土) 00:09:17.05 ID:8DTM0FAF0
食料とか、着るものとか、ケツふ
21 : 2020/06/06(土) 00:10:55.22 ID:25jLPfko0
牟田口も現場の指揮官みたいな頃は出世してるんだし当たり前だけど有能だったんだろ?
人は無能になるまで出世するなんて言うけど人事ってのは難しいもんだな
23 : 2020/06/06(土) 00:11:34.55 ID:8DTM0FAF0
食料とか、着るものとか、ケツ拭くものとか、どうしてたんだろう?
48 : 2020/06/06(土) 02:35:05.49 ID:qAAiMrgC0
>>23
ケツ拭くものに関しては本当に謎…
26 : 2020/06/06(土) 00:20:43.19 ID:OLRW7qFt0
あの無謀な作戦の代名詞で有名なあれか
27 : 2020/06/06(土) 00:22:42.25 ID:TGHNiJFn0
インパール作戦の親族の足跡追うなんて絶望的な気分だろうな。親戚に犠牲者いなくても、知るだけで
ウンザリ鬱になるのに
49 : 2020/06/06(土) 02:36:29.58 ID:qAAiMrgC0
>>27
「南方で死んだ人は名誉の戦死と言うことになってるけど
到底家族に聞かせる事が出来ないような死に方してるんだ」
と言うことを聞いたことがあるな
28 : 2020/06/06(土) 00:23:46.86 ID:AieU8NSb0
インパール作戦 = 素人の作戦

これに尽きる。

29 : 2020/06/06(土) 00:26:20.88 ID:MgUcJfHLO
競輪場の前には巨大顔目吊り上がりエラハリノッペリ顔というとても日本人には見えないサクラ客が
競輪場内外犯罪しても一切お咎めなしで通されています
30 : 2020/06/06(土) 00:27:22.55 ID:6yKtqo3z0
>>1
ペグー山というのか、テグウ山だとばかり思ってたわ。今まで色々知らなさすぎてたわ。
いつかは親連れて慰霊に行きたいと、気持ちは十分あるけど
早く思いを馳せて色々知ってればよかった、
爺ちゃんは架橋材料第26中隊、同じくペグー山で亡くなったわ
31 : 2020/06/06(土) 00:28:15.10 ID:CMyWxLCr0
ジンギスカン作戦か
馬鹿な大将、敵より怖い
って最近も聞いたな
32 : 2020/06/06(土) 00:28:58.92 ID:0ccfPSW/0
地獄の黙示録
33 : 2020/06/06(土) 00:29:29.92 ID:jM9z+Ci60
祖父?
35 : 2020/06/06(土) 00:30:51.40 ID:nV5WMAgh0
クソジャップwwwwwwwww
36 : 2020/06/06(土) 00:33:19.86 ID:ZtkWtnZb0
>>35
オチョンコはここに来ちゃダメよ
38 : 2020/06/06(土) 00:35:57.60 ID:CMyWxLCr0
ジャングルじゃ逃げようがない
39 : 2020/06/06(土) 00:36:30.61 ID:1qtQT4W70
牟田口廉也と富永恭次はどちらが無能だったんだろうか
40 : 2020/06/06(土) 00:36:39.64 ID:ISnH54mY0
俺のじいちゃんもペグー山系で戦ってた。
生きて帰ってきたぞ。
43 : 2020/06/06(土) 00:43:53.87 ID:HQgIX7rS0
あはは、自粛自粛言ってる今の日本みたいだな
44 : 2020/06/06(土) 00:45:03.00 ID:FokH7oKE0
河辺と牟田口がアホすぎた
インパールなど攻める価値もない拠点
45 : 2020/06/06(土) 01:05:10.62 ID:39YNtcM00
現地に足を運んでみたい
祈りを捧げるだけでも果報と思う
46 : 2020/06/06(土) 01:27:38.22 ID:YoBjDZ490
>>45
牟田口司令官の訓示を唱えてこい!
47 : 2020/06/06(土) 01:46:41.82 ID:nwsXbx1mO
ノモンハン事件もな
52 : 2020/06/06(土) 02:38:48.97 ID:39EMVMVh0
英国「ムタグチは優秀な軍人」
53 : 2020/06/06(土) 02:39:25.06 ID:Hh6l3m2S0
ジャングル踏破に加え険しい大山脈越えで補給困難
ポートモレスビーを目指してオーエンスタンレー山系を超えた南海支隊は超人的な努力の末壊滅した

この戦訓がありながら同様の作戦を何の改善もなく強行する
牟田口はイカれてるとして大本営参謀本部も気が狂っていたとしか思えない

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